石段を上り石の鳥居をくぐり、「神門」と名づけられているそうな、これが門なのかとの感がする建物を通過したとたん同じような感じの、さらに大きな建造物に一瞬ひるむ。門からこの拝殿まで何歩ほどの距離があるのだろうか、天空が鋭角に切り取られているせいか微かな圧迫感が漂うほど、この台地上のこの狭い敷地にしては、あまりにも建物が巨大すぎる。しかし、「安産」「子育て」のお守り札を授与しているのも関係があるのか、境内には目を凝らしてもゴミ一つ見当たらない。台地状のこの杜がまさに「産泰健康ランド」か。
磐座遺跡を東方向から
大胡驛の東南約一里、荒砥村大字下大屋字明神山に鎮座在し、其由緒を詳かにせざるも、古来地方に於ける安産加護の名社として知られ、上下の崇敬篤く、江戸時代には上野国内各藩主の多くは特別に尊崇し、何れも親近に懐妊者ある時は社参祈願したが、殊に前橋城主酒井雅楽頭の如き最も崇敬せられ、前橋在城當時社殿の位地を変更し、(𦾔時南向なりし社殿を西向となした)本城対峙させて守護神とし、寶暦十三年社殿を改築した。
毛野研究会 「毛野」 第2号 昭和6年
参考
神楽殿
神門
所在地 前橋市下大屋町
安産祈願の狛犬
境内