TALK ON ANCIENT ROMANCE
宮子の竜宮岩

花の竜宮路

1, 宮子の里は    赤城を背に        2, せせらぎ優し  広瀬の川は
 語りつがれる   龍神様を           桜、菜の花   月見の草を
 お守り神に    暮らしてる          水面に映し   流れ行く
 四季に花咲き   小鳥は唄う          恋人囁く    竜宮橋は
 希望燃え   日は昇る ああ花の竜宮路     愛が舞い  恋が舞う ああ花の竜宮路     
 

所在地 伊勢崎市宮子町

竜宮の社

広瀬川の土手上より

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3, 歴史も古い    ほこらを囲む        4,夫婦松の名   乙姫太郎
 青い溶岩山    むらさき藤よ         赤い鳥居を   潜って鳴らす
 竜神様に     願かける           小鈴は愛の   誓いです
 現在幸福     何時何時までと        咲けよ七色   コスモスの花
 霧が降る  夢が降る ああ花の竜宮路      秋は其処   日は沈む ああ花の竜宮路 
 

鳥居の奥に社あり

作詞    井上 清
補作詞   佐久間 清詩
唄  キングレコード 石川 八千美

宮子の竜宮

広瀬川と荒砥川の合流点あたりを、昔からこの附近の人たちは、竜宮の名で呼んで来た。
三四十年前までは、うっそうと樹木が茂り、苔や羊歯の一面に生えた巨巖を背後にした小さな祠があって、この巖の下のあたりは、何時ももの凄い渦が巻いていて何となく不気味な渕であった。昭和二十二年のカスリン台風の後の河川改修で、広瀬川の川幅も四倍程になり、右岸の堤防も立派なものが構築されたので、竜宮の景観も昔のような凄味がなくなってしまった。竜宮には、いろいろの伝承があって、江戸時代の中期の宝永元年(1704)に書かれた「口々相承竜宮本記」という記録によると、当時竜宮のあたりは千間渕、または覚満渕などと呼ばれて、その渕の底には竜宮があるものと信じられていた。
                      伊勢崎郷土文化協会 「伊勢崎散歩」 より

参考

社右裏手より

社右手より

浦島太郎像