下にも掲げた「鼻毛石のあゆみ」によると永禄年間(1558〜1569)の北爪家文書のなかに
「女渕郷はなけ石」の記載があるそうで、この頃からこの地名があったことがわかりますが、
では「はなけ石」とは一体なんのことなのでしょうか?
一説には、この地が八幡神社の大門にあたるので参拝の者はここで下馬をして神社まで
進んだからだといい、また或る説では「はなけ石」を「鼻返し」ととらえ、この地が荷物の
中継地点にあたり、馬を返したからだともいいます。
ここで考えてみますと、石から神社入口まで100Mぐらいの距離があり、乗馬の人が
参拝のためにここで下馬して社殿まで進むなどとということは、「伊勢神宮」や「出雲大社」
などの大きな社は別としても地方の村社としては到底考えられなく、下馬説はなりたたないように
思われます。また中継地点説ですが、永禄年間のこの地の商品経済状況を考慮してみても
この地が荷馬の中継地点だつたとは考えづらいことです。
いったい「はなけ石」とはなんなのでしょうか?
鼻石
所在地 前橋市鼻毛石町
南方向より
八幡神社大門にあり鼻ににた形が数ヶ所あり、まれにみる巨大な石で、
鼻石の神として信仰されている。
八幡神社の大門が神社からこの地まで続き、八幡宮の石塔が建てられた。
その後大門通りも自然になくなり、今は石塔のみである。
「鼻毛石のあゆみ」
勢多郡鼻毛石区長事務局 昭和61年3月20日発行
南西方向より