川内団地を過ぎ、しばらく車を進めると右手に「白瀧神社」と彫りつけた立派な石柱と、昔、商店街の入口などでよく見かけた道を跨ぐ鉄骨製の名入れのアーチがあり、一瞬山懐の温泉にでも来たかのように錯覚させられる。「山田川」を渡り、ひと群の家の先、左手に南面して石の鳥居があり、参道を進み右手にとりつけられた石段を登った左にひっそりと此の岩は在った。あれっ、ちょつとおかしなと違和感が漂うのはこの道順のせいかもしれない。ふつう神社の参道は入口の鳥居から本殿まで直線に付けられていると思うが、この神社では北進してから東に進んでいるではありませんか。ここで想像たくましく推測してみると、かつて神社西側から本殿まで真っ直ぐの参道があったが山田川の流が東に向きを変えたため、石段下までの参道を削ってしまったということも考えられるのではないでしょうか?(元々参道は無かったのかもしれない) のちの明治時代の織物業隆盛期に(ちなみに本殿敷地の「桐生生産之碑」は明治21年、参道口の鳥居も明治の文字が見え、また幡立石には昭和6年の刻みがある)社殿整備の機運が高まり建設に至ったが、その後の山田川の再びの流路変更により生まれた神社西側の土地には家々が立ち、直進の参道を取り付けることが出来なかったのではないのだろうか?いずれにしても桐生の中心から離れたこの地に織女神の降臨の伝承と共に社殿が残っているということは、桐生においてこの川内の土地が古来より機織りの盛んな地域であったということを裏付けることにもなるのではないでしょうか。
白瀧神社神体岩
所在地 桐生市川内町5丁目
南東方向より
参道鳥居
神社入口アーチ
低くなっている西側より
境内南方向より